昨日は高校からの親友、今日は20歳からの親友と飲んでいた。
「日記見てるよ」「共感する」という言葉が嬉しかった。
書き始めて約1週間程度、1000人を超える訪問者(UU)ができた。
こんなことを思ったりもした、
「今まで自分が、人に直接語ってきたことをブログやSNSというメディアを通して、もっと多くの人に伝えられるのかもしれない」と
何者でもない自分だけど、誰かの勇気や希望、時には救いになるのであれば
できるだけ、書いていきたい、遺していきたいと思った。
また、面白いデータが出た。それは
この shunsukemorii.com/thought である
「日々考えていること (旧:日記)」が
全体のブログの中で、90%以上見られている。
これは面白いなあと思った。
もしかすると、人々の欲求や関心は
その人の「リアル」にあるのかもしれない。
・・・
ノブレス・オブリージュという言葉がある。
俺が普段からよく使う言葉だったりする。
なんでかというと、響きがちょっとカッコいいのと、
なんだか頭良さそうに見えるから。笑
ノブレス・オブリーージュ
良い響きだ
wikipediaでは以下のように定義されている
“ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、高い社会的地位には義務が伴うことを意味するフランス語[1]。「nobless」は「高貴さ」、「oblige」は「(義務を)強制する」という意味である[1]。”
また、別の参照元によると
“聖書の「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)に由来するとも言われる。”
なるほど。
これはもしかすると「現代のSNS」にも必要かもしれない。
なんてことを思ったりした。
上がった分だけ、下げて欲しい
結論を言うとこれである。
以前の日記である「クローズドソーシャルが成り立つ日」でも、以下のように書いたけど
“既存のソーシャル(これはほぼすべからくパブリックソーシャルである)で見えるのは、 限りなく、その人の”断片的な姿”であると言うこと。”
現代のSNSには、こういう”断片性”がもたらす弊害がある。
それは「この人は凄い、自分とは違う」「自分にはできないかもしれない」「人と比べてしまう」というSNSのネガテイブな側面である。
ほんとはそんなことないのに。
これが現代のSNSが生み出したfake。
ここに一つ。
解決策と、新たなムーブメントを提案できたらいいなと思う。
それは、
「上がった分だけ、下げていくこと」
どういうことか。
それは
注目を集めたり尊敬を集めた人こそ、自らの弱みや過去、プロセスを赤裸々に語っていくこと。
それにより、「自分にもできるかもしれない」「この人でもこういうことを経験してたんだ」「あれ、今の自分と一緒やん」という、希望や勇気、救いを作っていくこと。
これが、
SNS時代の、ノブレス・オブリージュ なんじゃないかなあ
などを思った1日でした。
上がった分だけ、下げること、その差分や反動のエネルギーは、人々の希望や勇気、救いになるんじゃないかなーって思った。
多くの人が弱さをさらけ出せて、心からつながり、自分を否定せずに、希望を持てる社会になるといいなと思います。
本物で力のある、そんなあなたこそ、fakeな現代のSNSを変える優しい力があるのではなかろうか。
今日はこんなところで。
明日も頑張るぞ!
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